「たまちゃん、パパ、死んじゃった。」
40を超えた年齢になってもまだ、鮮明に覚えている母の言葉。夜遅く、寝室の薄暗い豆電球の光を遮る様にして私の目の前で母が発した言葉。
その後の記憶はお葬式で皆がお経を唱えている中、大人の真似をしてお経っぽい呪文を唱えていたら「とっても上手だね。」と父の弟、おじさんに言われて照れ臭かった気持ち。
8歳にもなれば他の出来事を覚えていてもいいはずなのだが、父が亡くなった時の私の記憶はそれぐらい。お葬式も火葬場も、棺桶に入っていたであろう父の顔も、ショックが大きかったからなのか未だに思い出す事が出来ないでいる。
8歳で父を交通事故で失った私の物語
私は8歳の時に父を交通事故で亡くしてしまった。
もう30年以上前の話で、今私は当時33歳で亡くなった父の年齢も超え、40代になった。
当時は父の両親(祖父母)、父、母、私、弟の6人で暮らしていた。父は会社員、母はパートで日中は家にいなかったが、祖父母は農家だったので常に自宅裏の畑にいた。だからか、私は友達と遊ぶよりも祖父母の居る畑に行って手伝いをしたり、昆虫採集をしたり、田んぼでザリガニやオタマジャクシを捕まえる事を楽しんでいた。
田舎の本家だったため、親族も多くつながりも深く、自分よりも年齢の上のお兄さんお姉さん、弟よりも年齢の下の従兄弟、その他沢山の大人たちに囲まれていた。
父が亡くなり、父の弟が家を継ぐことになった。その為、母と私と弟の3人は遠い場所に引っ越しをした。そして、父の親族に会う事も無くなった。
この時の私の記憶はまだ曖昧で、母からしか詳しい話を聞いていない。ただ、大人になってから父の弟に会い当時の話を聞こうとした所「悪かった、終わった事を今話してもしょうがないので。」と話を遮られてしまったので、母の言った通り弟が家を継ぐことになった為、家を出て欲しいと言われたのだろうと理解をした。
そう、私は8歳で父を失っただけではなく祖父母、親族、学校の友人、家、毎日の遊び場、安心できる場所をすべてを失った。そして3人だけの家族になり、新しい家から新しい学校に通い、新しい友達を作らなければいけなくなった。ただ、当時の私は悲しいとか辛いとかいう感情は全く、環境に馴染む為、新しい自分の居場所を作る為にただただ毎日必死に生きていた。
それは私だけではなく母も同じで。生きる事と子供を育てる事に必死だったと思う。そうしていつの間にか家族で父について話す事も無くなり、思い出に蓋をしたまま私は大人になってしまったのだ。
30年後に語る、父を交通事故で失った私だから伝えられる事
10代の頃の私は父を思い出したり、父の話をすることが出来なかった。
20代になり、一人でお墓参りに行き父に語りかける事が出来るようになった。
30代後半でやっと、自分の気持ちに目を向けられるようになった。
40代に入り、信頼が出来る人に自分の気持ち、人生を話す事が出来るようになった。
今でも私は私の事を100%理解できていないと思う。でも、「悲しかった」「辛かった」「嫌だった」という自分のマイナスな気持ちが分かるようになった。父の死から30年、40代になって、私は自分の感情に鈍感だったとやっと気が付いたのだ。
私の周りで親が子供の頃に亡くなっている人はあまりいない。子供だった頃は1人もいなかった。そのため子供の頃から(私の気持ちはだれにも分からない)と思って生きて来たし、父親が亡くなっているという”普通”ではない自分を恥じて”普通”になろうとしたことで自分のマイナスに思う感情が鈍ってしまったように思う。
出会いや別れを繰り返し、たくさんの人の話しを聞き、たくさんの人に話を聞いてもらい、色んな感情を経験して私は40代でやっと自分の事が分かってきた。そして思ったのだ。もしも10代の頃に同じ気持ちを共有できる人がいたら、もっともっと楽に生きられたのではないかと。
両親が亡くなってしまった子供はかなり少ないと思う。少ないからこそ、親が亡くなった子供は誰にも相談が出来ない。そして1人でこんな事を思って、自分の感情を抑え我慢する事が唯一の解決方法だと思ってしまうかもしれない。
- 可哀そうと思われたくない。
- 普通にならなくちゃいけない。
- 早く立ち直らなくてはいけない。
- 元気でいないと周りに心配をかけてしまう。
- 私の気持ちはだれにも分からない。
現に、私はこう思って生きて来た。当時はそれが”普通”だと思って生きていたが、今思えば子供がこんなことを思って生きる事はとても苦しく辛い事だと思う。
だからこそ、同じような経験をした子供たちにこんな風に思いながら生きて欲しくない。重い物を背負って欲しくない。大切な人が苦しんでいる時、どう対処をしたらいいのか分からず胸を痛めている人にも、私の経験が少しでも痛みを取り除くヒントになれれば有難い。
想いを込めて、私の経験、気持ちを共有していきたいと思う。
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1.父を交通事故で亡くした後、新しい環境に馴染むことに必死だった私達
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