8歳の秋に父を交通事故で失った。その後、母、私、弟の私達3人は父の祖父母と一緒に住んでいた家を出なければいけなくなった。
それから、縁もゆかりもない、母の親族がいるわけでもない。父の親族が住む地域から離れているけれど、母の職場へ通えるような場所に母は家を見つけた。そうして私たち家族3人の暮らしが始まった。
私は小学3年生。弟は幼稚園年長。そんな子供2人を急に1人で育てなければいけなくなった33歳の母。事情があり母の実家にも頼れず、たった3人でよく生きてこれたと今になって思う。
目次:タップで飛べます
交通事故で父を亡くし新しい環境に引っ越してから
父が亡くなったのは秋、それから4カ月ほど。父の親族の事情で父と暮らした家を出なくてはいけなくなり、私は小学3年生の3学期から新しい学校に転校をした。
登校初日、母と2人で校長室で担任の先生に挨拶をしながら、校庭で遊んでいる同級生であろう生徒を見てドキドキしていた。教室で自己紹介をした後も緊張で自ら話すことは出来ず、話しかけられたら答える程度。帰宅時は先生が家の近い同じクラスの女の子に一緒に帰るよう伝えてくれて、1人でないことにホッとした。
転校をして一番残念に思ったのが畑や田んぼが近くにない事だった。同級生に「ザリガニが取れるいい用水路はない?」と聞いたところ「ザリガニを取るの?」と驚かれた。昆虫採集をしている子もいなかったし、田んぼが無いのでオタマジャクシを取る事も出来ない。つまらない場所だな、と思った記憶がある。
当時の記憶が曖昧で、飛び飛びで。覚えている事が少ないが、新しい生活環境に馴染むことに必死で父の事を思い出して悲しむ余裕が無かったように思う。新しい家、新しい通学路、新しい友達、新しい遊び場。子供だからなのか、私という人間の性質なのか、父がいた頃と比べることなく前向きに、新しい環境に馴染むことだけを考えて毎日を過ごしていた。
そうして、あっという間に私にも弟にも新しい友人が出来て、自宅でゲームをしたり公園で遊んだり、子供らしい遊びを子供らしく出来ていた。また母の友人もよく家に遊びに来ていて、私たち家族が父を亡くしたことから立ち直ったんだと皆が思っていたと思う。
今振り返ると、父が亡くなったことを受け入れる事が出来ず、なかったことにすることで悲しみに蓋をしていたようにも感じる。それは私だけではなく、母も、弟も。
父が交通事故で亡くなり30年以上が経ち大人になった私が思う事
私は父が亡くなる前と亡くなった後、性格は変化したように思う。
父が亡くなり転居後の性格の変化
母やその他、当時周りにいた大人たちからは「たまちゃんは昔は恥ずかしがり屋でおとなしい子供だった。」と言われている。私自身も、友人と遊ぶのではなく祖父母が農作業をするのが見える場所で昆虫採集をしたりザリガニを取ったり、一輪車で遊んだり木登りをしたり、と1人で遊んでいた記憶がある。たぶん祖父母がすぐ傍にいてくれている安心感があったから1人で遊ぶ事が出来ていたのだろう。
引っ越してからは誰かと一緒にいたいという気持ちが強くなった。1人でいることが苦手になり、放課後もクラスメイトと学校で遊んでいたし休日も友人が家に遊びに来ていた記憶があり、人といる事を強く求める様になった。ただただ寂しくて誰かと一緒にいたかったのだろう。父が亡くなり母はパートを掛け持ちして忙しく、弟はまだ子供。家にいても心細く、誰かと一緒にいたいという気持ちで友達が自分の居場所になったのだと思う。
子供に孤独感を感じさせてはいけない理由
ちなみに、私は沢山の友人がいるわけではないが、学生時代~20代に出会った友人とは今でも仲が良い。辛い時も悲しい時も、それ以上に楽しいと思う時間を共に過ごしてくれて、友人からの愛情に私の心は育てられたと感じる出来事がたくさんある。ただ、これは私が運よく良い出会いに恵まれたからだ。
今はインターネットが普及して、SNSなどで人と繋がれる。居場所のない子供達が集まる場所がある。そこを狙った悪い大人が子供を悪い道に引きずり込んだ事件を目にするが、その子供たちの気持ちが私にはなんとなく分かる。ただ寂しく誰かと一緒にいたくて、必死に居場所を探した結果、悪い出会いに繋がってしまったのではないのだろうか。人は人との出会いで人生が左右される。大人になってからの出会いも重要だが、子供の頃に出会う人間からの影響は計り知れない。
親が亡くなったり、死別ではなくとも傍にいてくれていた大人が減った子供たちの一部は、寂しさから新しい人間関係を作ろうとする。そういう子供達を守るために、安心できる居場所や気持ちを共有できる場所を作る必要があると思う。子供を守る=孤独で頼るところが無い片親にも心の支援が大切だと感じている。
子供を支援する=その母親を支援するという事
私も友人がいたとはいえ相手は子供。母の友人も良く遊びに来ていたが、ただの友人。甘えられる訳もなく、現実的な支えも心の支えも足りていなかったと思う。
父が亡くなる前は祖父母と三世代で同居をしていた。長男だった父が亡くなった時に、父の親族は父の弟の次男が家の跡を継ぐ、というのが”当たり前”という考えだった。私たちが家にいると父の弟家族が引っ越してこれないので母と私と弟は家を出る事になった。その後の母は、誰にも頼らずに目の前のことの対処をがむしゃらにしていた。仕事に子育てに近所付き合いにPTAに。
当時の母の年齢を超えた今の私は、母の気持ちを想像すると胸が痛くなる。なぜ、誰も母を助けてあげなかったんだろう。皆、母が立ち直ったと思いこんで傍にいてあげなかったのだろう。
家を出たことについて、当時は母は血縁者でないのでしょうがない事だと思っていたが、血の繋がりがなくても思い合える人達と出会えた今の私は、父の親族を理解する事が出来なくなった。父親を亡くした子供の居場所を奪い、夫が急死した30代の母を追い出して得た跡継ぎという立場は、どれほどの価値があったのだろうか。
私はこうした経験から、自分の立場やお金に執着する人間が苦手になり血縁関係なく、信頼が出来る心の優しい人間としか付き合いたくないと強く思うようになった。
今も”私が大切に思う人のみ”を大切にしているので、友人や私が好きな人は私の事を優しい人間と思い、私が苦手とする人は私を冷たい人間だと思うであろう。私は浅く広く繋がる人間関係を苦手とし、少人数で深く繋がる関係を好むようになった。
まとめ:引っ越しをして生活環境が変わる=価値観、人格への影響は強い
今回は父を交通事故で失ったことによって、環境が変わった当時8歳の自分について振り返った。
引越しをせずにそのまま祖父母と同居を続け、同じ学校に通っていた場合は分からず、比べようがない。ただ、自宅も同じで側にいてくれる大人達も変わらず、元々通っていた学校に通い続けていたら、ここまで居場所を友達に求めなかったかもしれないと想像が出来る。また、父がいなくなった時の周りの反応に戸惑い、父の思い出だらけの家で毎日悲しみを感じていたのかもしれない。
実際は引越したことで私の人生にかかわる人間が全て変わり、その後の人格形成にもかなりの影響があったと強く感じている。それは良いことも悪いこともあり、下記のような父の死とその後の経験のトラウマから出来た考え方に、10代20代の頃は苦しめられていた。
- 居場所が欲しいと強く願いすぎる。
- 悲しい気持ちに蓋をする癖。
- 家族の絆を深めるのではなく、外に居場所を求める。
- いつかいなくなるのではと考えてしまう大切な人への不信感。
このような考え方は間違っていて、自分や周りの人間を苦しめるだけだと気が付くのに、私は何十年もかかった。
私の体験は30年前の田舎で起きた出来事で、特殊な環境。両親が亡くなる事でここまでの環境の変化がある家庭はあまりないかもしれないが、事情がある家庭もあるかもしれない。親の死という出来事だけでも重要で人生が変わることなので、転居や転校など、それ以上の変化を子供にさせるようなことは出来るだけ避けて欲しいと願う。
今、悲しんでいる人が傍にいる方は、何をするでもなく傍にいて安心できる居場所になってあげて欲しい。
-
2.亡くなった父の話が出来なかった小学生時代:子供の心に寄り添うという事
続きを見る