Tamaco Funami

8歳の時に父を交通事故で亡くし、30年以上が経ち私は大人になった。そして気が付いた。私は父の死を乗り越えていなかった。”乗り越えたふり”をしていただけだったのだと。大切な方を失い、今苦しんでいる方に伝えたい事がある。

環境の変化

2.亡くなった父の話が出来なかった小学生時代:子供の心に寄り添うという事

2025年1月9日

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8歳の時の別れ、父が交通事故で亡くなった私が大人になった、交通遺児、グリーフケア、子供の心に寄り添う

Tamaco Funami

8歳の時に父を交通事故で亡くし、30年以上が経ち私は大人になった。そして気が付いた。私は父の死を乗り越えていなかった。”乗り越えたふり”をしていただけだったのだと。大切な方を失い、今苦しんでいる方に伝えたい事がある。

 

8歳の時に父が亡くなってから大人になるまで、父親の話を家族でしてこなかった。母も弟も私も、3人ともに父の存在が元からなかったように過ごしてきた。

大人になった今、そのような過ごし方は心の傷が深くなることだと気が付いた。

 

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亡くなった父への想いを誰にも話せなかった時期

 

父が亡くなり引っ越しをし、私は学校も転校する事になった。その際に、母と母方の祖母にこう言われた。「お父さんがいないと言うと虐められるから、お仕事で遠くに行っていると言った方が良い。」と。

子供だった私は言いつけを守りながらも、ふとした時に父が亡くなったと言ってしまうこともあり、いつからか誰に話して誰に話していないのかが分からなくなった。一度嘘をつくと嘘を重ねてしまう事がとても辛くて、それでも「やっぱり嘘でした。」とも言うことも出来ず、父のことを誰にも話せなくなった。

1度母に父が恋しいと話したことがある。その時に「パパじゃなくてお母さんがいなくなった方が良かったって事?」と言われてしまい、それから母にも父の話が出来なくなった。そうして誰にも父の話をせずに月日が流れていった。話さない=思い出す事も少なくなる。私はいつの間にか父の事を思う事は無くなっていった。

 

 

父が交通事故で亡くなった後の小学生時代を振り返って

 

今回の話はとても特殊だと思う。今の時代(片親だということを隠した方が良い)という価値観はないので、母と祖母の言葉を理解が出来ない方も多いだろうし、私自身も間違った対応だったと思っている。

 

 

子供の傷を深くする大人の心配が故の間違った想像

 

私に対して「父が亡くなった事を人に言わない方が良い。」とアドバイスをしたのは、良かれと思っての事だと思う。30年以上前の話なので、まだ母子家庭に差別がある時代だったのかもしれない。田舎だからこそ余計に母と祖母は、私が虐められないかと不安に思ったのだろう。ただ、父親を亡くした8歳の子供に架空の父の話をさせる。大人になってからこのことが普通ではないと気が付き、なんて酷な事をさせたのだろうと母と祖母の言動に憤りを感じた。

現実私は子供の頃に苛めをうけたことは1度も無い。それは父が亡くなった事を黙っていたからではなく、私と同級生たちの相性が良かったからである。たとえ父が亡くなっていると初めから正直に話していたとしても、変わらず仲良く出来たと思っている。

 

 

未来の心配事を先取りしなくてもいい

 

親であれば、子供が虐められることなく毎日楽しく過ごしてほしいと願う物であろう。その願いが強くなりすぎて心配に変わった時に悪い想像をし、回避させたいと感じてしまうのかもしれない。だが、それは親の妄想にしか過ぎない。

現実私は虐められることも無かったし、例えば同級生で両親を亡くしたという子がいたとして、私は同情することはあっても虐めようと思う気持ちになることは一切ないと思う。ほとんどの人間が労わり、思いやるのではないのだろうか。

今、子供に対して未来の心配事(まだ起きていない妄想)がある方には、まずは子供を信じて欲しいと思う。なにか問題が起こる前に親が先回りして回避させようとするのではなく、問題が起きた時に子供が親に相談が出来る関係性を作る事を重視して欲しい。思っている以上に、子供は自分の頭で考えているはずだから。

 

 

子供が亡くなった親の話をしてきた時は、ただ気持ちに寄り添えばいい

 

子供は亡くなった親のことが恋しくなった時に、話しをしてくる時があるかもしれない。

私の母は、私が父の話をすると自分が責められているように感じたのだと思う。だからこそ「パパじゃなくてお母さんがいなくなったが良かったって事?」という大人げないセリフを吐いてしまったのだと思う。これは私の想像に過ぎないが、両親揃っている家庭と同じように1人でも子供を育てなければと頑張っている時に「父が恋しい」と言われ、自分の頑張りが認められていないように思ってしまったのかもしれない。ずっと張り詰めていた糸が、プツンと切れてしまったのかもしれない。

今大人になった私はこのように母の気持ちにも寄り添えるが、子供の私は傷ついたし(母もいなくなってしまうかもしれない)と恐怖を感じ母に父の話が出来なくなってしまった。私は母を責めたかった訳でもなく、ただ父を恋しく思っただけで話を聞いて寄り添って欲しかっただけ。母と一緒に父を思い出して一緒に寂しいね、悲しいねと抱きしめて欲しかっただけだ。

その対処が出来なかった母は、当時精神的にも肉体的にもいっぱいいっぱいだったのだと思う。今こちらを読んでいる、頑張っている保護者の方へ、あなたを責める事は誰も出来ないし、頑張りは子供が大人になった時に理解をしてくれる。ちゃんと分かってくれる。今は自分の心を抱きしめる様に、子供の身体を抱きしめて欲しい。

 

8歳の時の別れ、父が交通事故で亡くなった私が大人になった、交通遺児、グリーフケア、子供の心に寄り添う、中学生
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